アウトドア教育の可能性を考える。

最近、「子どもが野外で色々体験することって、大切だよね。」とよく聞くようになりましたが、いったい「どういいのか?」説明できる人はどれだけいるのでしょうか。

 

学校教育には、とても分かりやすいストーリがあります。

 

「 『1+1=2”である』と足し算を覚え、その連続で、期末期末のテストで優良な成果をあげ、いい高校の受験に成功して、いい大学の受験に成功して、いい職場の内定をもらって働き、いい嫁さんを見つけていい家族を作る。」

 

といった、学校教育の延長線上にある「大切さ」は、つねに親も先生も言ってくれるので、言われなくともわかりやすいイメージがすぐ出てきます。

 

「木登りをすると立体感覚が身に付く」という先生がいます。しかし、木登りが嫌いな人が木登りして立体感覚が身に付くのでしょうか? 

 

 

イヤイヤ「1+1=2」と覚えて、テストで表現できればそれは成果として残りますが、木登りをしても面白くなく、ただ登っているのはとても危ないですし、「どこを握って、どこに足をかけたいいのか?」に集中し、辿り着いたところからの風景に興味がいかなければ、立体感覚が身に付くとは思えません。

 

私が、パカラッチョで、5年間アウトドア教育の可能性を探ってきて気づいたことは、具体的な成果を求めてやったことには子どもの視点には制限となって映り(自分が主体的に選んでやった行為から離れていってしまう)、実際提供しているアクティビティに対して、楽しく取り組でいた人が、たまたま「〇〇くんは、意外にも△△ができるようになった」という、「たまたま出た効果」の連続であったことです。

 

例えば…

 

ある三人兄弟の末っ子のAさんに関して、「上二人のお兄さんはあまり『ありがとう』と言わないが、Aさんだけ(自然と)ありがとうを言える子に育っている」保護者から感想を頂きました。

 

ある子は、気が付いてみると、たまたま馬小屋掃除などを積極的にやる子に育っていました。

 

この二つの事例は、だれにでも当てはまることではなく、その子が経験しているインプットが、その子を通してたまたまアウトプットされたものです。

 

こういった史実から、今後パカラッチョは、

 

■「たまたまの成果」をどれだけ作れるか?

■また、その成果は再現性があるのか?

■再現性があるとしたら、そのしかけをどれだけ用意できるか?

 

に着目して、プログラムを考えたり、可視化(YouTube動画など)できるようにしたいと思います。

 

2019/05/09 平井